やあさむ・・・ -3ページ目

すたんす

最近、5年間お世話になったバーが閉まった。
もうひとつの5年間お世話になっているバーのマスターが
その人の仕事へのスタンス、
同業者への社会的な配慮
について物申されていた。

でもその人のスタンスしだいだからね。
長い間お世話になっていた僕としては
それが良かったのか悪かったのかなんて
客観的な判断はできない。

ただ、もう、あの店が無いことだけが悲しい。
最近、足遠くなっていたことが悔やまれる。

これまた後悔。

(写真:What are you thinking? @Dubrovnik,Croatia)

どっか。だれか。どれか。

僕は病院にかかったことが無い。
唯一は産婦人科。
といっても、またぐらから出てきた時。

父は唯物主義で、母は宗教家。
今、意志を持った自分は自分。
どっちにも寄りたくない。
となると、神も崇まなければ、
医者にもかからない。

まさに360°「救いようが無い」人間。


こういう時、宗教家は
「罰当たりな」
とか思うようだ。

余計なお世話だ。
拝まないことが罰当たりなら、
60億の殆どが罰当たりだ。


最も身近にいた母親が宗教家だったからか、
僕にも“神”の存在は信じられる。

うまく行った時は神様に感謝し、
失敗したときは日頃の行いを反省する。

そうすると、誰も恨まなくて済む。
“僕の神様”はいい神様だよな。

ただ、それは僕の神様。
僕以外には微笑みもしなければ、
振り向きもしない。
見えもしない。


いいじゃない。
60億組の神様と人間。

自分にとって良いものが
他人にとって本当に良いものだとは限らない。

自分の常識は人の非常識。

見えないものまで、
押し付ける必要は無い。


(写真:Stairway to... @Dubrovnik, Croatia)

ARBEIT MACHT FREI

"Working makes free"
英語に完訳すればこうなる。

よく見ると"B"が逆さまだ。
これはここを建設するために働かされた
ロマやユダヤ人のささやかな抵抗。


僕たちの知ってる
"Auschwitz"
はドイツ語。
現地語、つまりポーランド語では
"Oswiecim"(オシュフィエンチム)

残念ながら現地語の表記は
文字化けしてしまう。
実際にはsの上とeの下に発音記号が入る。


イギリスの20歳以下の60%が
"Auschwitz"を知らないという。

仕方ないといえば仕方ない。
だって、僕たちがテレビで見た
「ベルリンの壁の崩壊」
は、今の高校生たちにとっては
歴史の教科書の中の出来事なのだから。

知ってる人が、感情を交えずに、
事実のみを後世に伝えること。
後世の人たちに考えるきっかけを
与えること。

過去の人はいざ知らず、
現代人、ましてや未来人ならそれができるはずだ。
それが大切なのだと思う。

価値観や常識なんて水物なのだから。


100年後、僕たちは野蛮人といわれているだろう。

ろくじっしゅうねん

「戦争が無くなったら人間は増えすぎるかもしれない」
過去にそんなことを言ったことがある。
「戦争を肯定する人たちの理論だよ。」
そう言われた。

決して戦争を望むわけではない。


“理性”がある限り、
人間は戦争を続けるのではないかと思う。

野性で生きる動物は個の戦いしかしない。
理性の片鱗を持つ人間は集団で殺し合う。

弱い人ほど、他人を意識する。
弱い人ほど、和を作る輪を作る。

和の外を認めない。
自分と違うものをナンセンスだと言う。


僕という弱すぎる存在は輪さえも作れない。
でも自分という弱く、頼りなく、無意味に近い存在を
高めようと、日々考えている。

自分が羨む存在を排他しようとは思わない。
自分が羨む存在から学ぼうと思う。

自分を認めてくれない人、
自分を悪し様にけなす人がいたときに
「こいつはどうして俺を認めないんだ!」
とは思わない。
「僕に足りないものは何か?」
自分に原因を求める。

「ミイズムだ」
と言われたことがある。
自分に原因を求め、自分以外の人やもの、
つまり、社会を変えようという意識の無い人間の思想をさす言葉らしい。


でもそれって素敵なことじゃないですか先生?
少なくとも僕はポジティブなミイズムです。


魅力的な人の周りには魅力的な人が集まる。
いや、その人の魅力が、周りの人に影響を与える。
そしてその人たちを魅力的にしていく。

人を妬む人に魅力などあるはずが無い。
人を妬まない人が人を傷つけようという
考えを持つはずが無い。

自分より優れた他人を妬む人が、
その対象を排除しようとするのではないだろうか。

確かに、その対象は自分より、
優れているかもしれない。
ある部分で。
でも、自分も、その対象より、
優れている部分があるのだと思う。

こんな僕でも、100%かなわない人間なんていないんじゃないかな。
少なくとも勝負強さは人一倍だ。
と、信じてる。


(写真:Auschwitz, 60 years after its liberation @Oswiecim, Poland)

しょううちゅう

魅力的な人の周りには
魅力的な人が集まる。

魅力的な人に感化されて
魅力的になるのだろうか。

まぁどっちにしろ不思議だ。

(写真:Francisco de Xavier @Praha, Czeck)

へいへいぼんぼん

最近酷く寒い。

寒いのが好きだ。
深呼吸するのが楽しみ。
冷たい空気が体中に染み渡るのを感じる。
煙草もうまい気がする。

雪が降れば尚良い。
南の人間だからか?

むかし、-10℃の中で、
体の自由が利かなくなたことがある。
それでも好きだ。


雨上がりの青空も好きだ。
湿った空気が体に染み渡る。



普通のことを
特別に感じられる瞬間が好きだ。


(写真:After Snow @Krakow, Poland)

やんぬるかな

やんぬる哉。

このblogを人に見せてしまった。
独り言は聞かれたくなかった。

souという友人がいる。
僕の尊敬する人だ。
彼は僕の至らなさを理解してくれる人だと思う。

やんぬる哉。
確かに彼女も賢い。
然し、彼女が僕の至らなさを理解してくれるかどうかは分からない。

あぁ、やんぬる哉。
やんぬる哉。



後悔先に立たず。
然し、後悔程役に立つもの無し。


後悔したことの無い人間の気が知れず。

彼の人は自分で自分を満足させられる、
立派な人か、
浅慮な人か。

自分はその間をふらふらしている、
航海する人。

(写真:Travel @View from an Aero Flot Moscow, Russia)

かのうせい

もしかしたら
鏡に映る僕の顔は、
鏡に映る誰かの顔かもしれない。

誰かの見た、
誰かの顔は
僕の目に映る
僕の顔と同じかもしれない。

そしてその誰かの目に映る
僕の顔は僕の目に映る、
違う誰かの顔かもしれない。

黒髪で、眉毛が太くて、瞼が一重。
そんな人、世の中にごまんといる。


本当にみんな、
同じものを見て、
同じように見えているのだろうか?

説明しようとしたって、
不完全な「言葉」では到底伝えられない。

写真を見たって、
それぞれのレンズと心を通してみているのだから。

(写真:Plijatelj @Zagreb, Croatia)

はっぽうふさがり

感情で話す人に僕は心で話さない。
五感が全て出口になってるから。
あと、心で話してくれない人にも。


今日のできごとほど言葉を選んだことは無かったかもしれない。
彼が僕に向けて発した叱責の言葉は的確に問題点を捉えていた。
ほとんどが正論だった。
そして、その非の全ては彼にあった。

僕の頭が、彼への反論として用意する言葉も全てが正論だった。


人の逃げ道を奪って、完全に追い込むのは好きじゃない。
見るのも憐れになるから。
今の姿だけでも十分すぎるほど憐れなのに…

甘いんだろな。


彼が自ら気づくことを願いながら、僕が正論の外堀を埋めていると、
彼はその反論として自らの非を責め続ける。


そう言えば冒頭で…
感情で話す人は五感が閉じてるって自分で書いてたなぁ…

(写真:a Battery @Dubrovnik, Croatia)

ぶじぇんちくぜん

「自分はすごい」と思える人が羨ましくもあり、うっとうしくもある。
いや、どちらかというと憐れに見える。

ひとつのことを長くやってきた人は自分の経験と知識に酔うらしい。
それが自分の能力だと思うらしい。
そんな能力のある自分に自信をもつらしい。

誰にでもできることが先にできてることってすごいのだろうか。
「10年もやれば君にもできるよ。」


僕は謙虚でありたい。

誰にもできないことをできる人間になりたい。

(写真:@Buda side, Budapest)